下山平兵衛は実在したのか?伊賀で人の心を持つ悲しい忍者の物語

2019-05-13

下山平兵衛 1

映画『忍びの国』に出てくる、下山平兵衛。

人を人とも思わない、虎狼の族ばかりが暮らす忍者の国”伊賀”で、ただひとり人の心を持つ悲しい忍者の役を俳優・鈴木亮平さんが好演し、話題になりました。

弟を無門に殺され、父親である下山甲斐の心無い言葉に傷つき、国を裏切った忍者として描かれていましたが、これは本当にあったことなのでしょうか。

下山平兵衛についてもっと知りたいあなたへ、実在の人物なのか、『忍びの国』ではどんな描かれ方をしたのか、いろいろ調べてわかったことをお伝えしたいと思います。

 

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忍びの国あらすじ

忍びの国 1

天正4年(1576年)、北畠信雄は家臣の長野左京亮、日置大膳、柘植三郎左衛門と共に義父で元伊勢国司北畠具教討った。 同じ頃、伊賀国では国人の百地三太夫と下山甲斐の小競り合いの最中であり、絶人の忍びと謳われる無門が甲斐の次男である次郎兵衛を討ち果たしていた。 伊勢を落とした織田家と境を接することとなった伊賀は評定の末に織田家の軍門に下ることを決め、その決定を信雄に伝える使者として甲斐の長男平兵衛が選ばれた。 次郎兵衛が殺されても平然としている父に内心反発していた平兵衛は、信雄に伊賀攻めを進言する。 伊賀の出身で平兵衛と同様に伊賀者を「人間ではない」と唾棄していた三郎左衛門の進言もあって信雄は伊賀攻めを決め、手がかりとして伊賀の丸山城の再建をすすめることにした。 織田方から使者が来ると聞き、三太夫と甲斐はほくそ笑む。 彼らの目的は織田軍に勝ったという箔を付けることで下人たちの雇い口と収入を増やすことであり、平兵衛の裏切りは2人の策だったのだ。 信雄が抱える最大の戦力である大膳は旧主である具教を弑した事で信雄との間に遺恨があり、また伊賀の忍びを武士以下と見下していたため参戦を拒む。 三郎左衛門は銭に目がなく情のない伊賀者の習性を過信し、織田方が供出した大金に三太夫たちが飛びついたと思い込んでいた。 これらのことも全ては伊賀の忍びが得意中の得意とする心を読み操る「無門の一関」なる業によるものであった。 天正6年(1578年)、計画通り織田方の資金で城を再建し、三郎左衛門が伊賀者を城に閉じ込めて攻めようという目論見の上を行き、完成させたところで三太夫は城を焼き払い、織田方に痛撃を与えた。

天正7年(1579年)、とうとう織田方が攻めてくるという。自衛のための戦なので銭は出ないということに下人たちは反発し、半数が逃散すると決めた。その状態では勝てるわけはなく、戦自体を止めるしかないと考えた無門は織田方に直談判に行くが、大膳との談判はうまくいかず、田丸城に忍び込み信雄の寝込みを襲うが失敗。あまつさえ不参戦を決め込んでいた大膳に「無門の一関」を悟られ、信雄との不和を利用されていた事に気づいた大膳は信雄と和解し参戦に転じてしまう。 1万余の軍勢での伊賀攻めが始まり、数の上でも装備の上でも劣るうえに大膳の剛勇も加わり、伊賀者は劣勢に立たされる。 そのころ他の下人と一緒に伊賀を出ようとしていた無門は「なぜ逃げねばならぬのか」と不機嫌になるお国の様子を見て思い直し、ひょんなことで入手した北畠家の家宝の茶入「小茄子」を元手に「雑兵首には十文、兜首には十貫、信雄が首には五千貫を払う」と下人たちに伝え、形勢逆転をはかる。 銭が出るとわかった下忍たちの勢いはすさまじく、なりふり構わない戦いぶりに織田軍は総崩れとなり伊勢へと敗走した。 田丸城に侵入して信雄を討とうとした無門だったが、平兵衛に阻まれる。「川」という伊賀の決闘手段で平兵衛を倒したが、決闘の前に平兵衛が語った話で十二家評定衆への怒りを募らせていた無門は、信雄のことはいったん置いて伊賀に取って返した。 そして十二家評定衆を糾弾し刃を向けた。 「無門を討ち取った者は生涯夫役を免じる」という下知が出され無門は下人たちに囲まれる。その時お国が無門をかばって命を落とし、自らの愚かさに気づいた無門は伊賀から姿を消した。

三太夫の思惑通り、天下の織田軍に勝利したということで下人の雇い口は増え価値も高騰した。 だがそれも長くは続かなかった。 織田信長は天正9年(1581年)、4万4千余の軍勢で伊賀に攻め寄せた。 伊賀者は老若男女関係なく討たれ、伊賀の国は壊滅。 そこには安土城の信長の元へ単身忍び入り、「伊賀を滅ぼさねばおのれの命はない」と焚き付けた無門の策があった。

引用:Wikipedia

 

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下山平兵衛は実在の人物か?

下山平兵衛の父である「下山甲斐」は、伊賀支配66人衆のひとりで実在の人物です。

いろいろ調べても生没年などはわからないのですが、伊賀名張郡の武将で、現在の三重県名張市に下山甲斐守城跡があり、下山甲斐の本拠だったと言われています。

そして、史実には伊賀の日奈知城主・下山平兵衛(下山甲斐守‐しもやまかいのかみ)が織田信雄を訪ねて、伊賀への手引きを申し出て、伊賀攻めに手を貸したともあります。

 

下山家では代々、下山甲斐守と称していたことから諸説混同され、よくわからないというのが実情のようですが、歴史上の人物であることは間違いないようです。

原作者の和田竜先生も、これらの史実をもとに小説を書かれたのではないかと思われます。

 

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映画『忍びの国』での下山平兵衛について

 

なぜ伊賀を裏切ったのか

下山平兵衛(鈴木亮平)は、下山家の嫡男でとても強いだけでなく、真面目で優しい忍者だったのです。

伊賀忍者は皆、忍びで生計を立てているので、金で人を殺すのは当たり前。

なので、平兵衛のような真面目で優しい男は、周りから見れば変人だったと思います。

 

映画『忍びの国』の冒頭シーン、伊賀の国では下山家と百地家の戦いが繰り広げられていました。

伊賀では日常の光景です。

平兵衛の弟、次郎兵衛(満島真之介)は嬉々としてこの戦いに参加しますが、平兵衛はこの無意味な家同士の小競り合いにほとほと嫌気がさしているようでした。

 

ところが、百地三太夫から暗殺料金を吊り上げることに成功した無門(大野智)によって、かわいがっていた弟・次郎兵衛をあっさり殺されてしまったことから、怒った平兵衛は無門に戦いを挑みます。

強い者同士お互い決め手を欠いたまま、国からの集合の合図をうけて戦闘は中断。

決着がつかぬまま、無門はその場を去ります。

 

次郎兵衛が殺されたというのに、その時の様子を面白そうに話す下人たちや、息子を殺されたのに平然としている父親。

人を人とも思わぬひとでなし、まるで虎や狼のような獣たち「虎狼の族」を見て、平兵衛は思うのです。

「この者どもは人間ではない」と。

 

平兵衛はその怒りや悲しみを、伊賀を裏切るという形で生きる目的に変えて行きます。

織田に伊賀を滅ぼすように進言したのは、たかが家同士の小競り合いで弟をもてあそぶように殺された、人でなしを根絶やしにしてほしい、という悲しい願いがあったからです。

 

無門との決闘で命を懸けて伝えたかったこと

この映画の見どころは、何と言っても無門と平兵衛の”川”の決闘シーンです。

弟の次郎兵衛を無門に殺させたところから、全ての作戦は始まっていて、自分が伊賀を裏切ることも、織田に伊賀を攻め落とすよう進言することも、全部十二家評定衆たちの術にかけられてのことだったと気づいた時の、平兵衛の心の内を思うと、胸が張り裂けそうになりますね。

 

弟の敵である無門との川の決闘シーン。

平兵衛は「わしが死んでも残りの者たちには手を出すな」と言い、自分の命と引き換えに信雄たちの命を守ろうとします。

そこからはもう、息をのむような無門との死闘が展開され、徐々に追い詰められていく平兵衛。

彼が自らの死を覚悟して、さやを無門に打ちつけるシーンがあります。

無門はそれを、よけずに正面から受け止めましたね。

そして平兵衛は、互角の戦いを僅かな差で制した無門に「約束は守れよ」と言い残します。

 

自分の怒りや悲しみの全てをぶつけるように挑んできた平兵衛から、何かを感じ取ったのでしょう。

とどめを刺した無門が、死にゆく平兵衛にかけた「わかったから、もう怒るな」という言葉。

人間に憧れた平兵衛を、人間として伊勢の地に葬ってやってくれと日置大善に頼んで去った無門もまた、そののち平兵衛と同じように、伊賀を捨て人間として生きるようになるのです。

 

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下山平兵衛は実在したのか まとめ

 

忍びの国で描かれた「下山平兵衛」は、伊賀で人の心を持つ悲しい忍者の物語でした。

人間に憧れた平兵衛でしたが、彼もまた”虎狼の族”のひとり。

まともな部分もあるけど、結局は自分の故郷を皆殺しにして根絶やしにしようとするところはやはり、彼の中の忍びの血がそうさせていたのかな、と思うと、なんだかやりきれませんね。

映画で下山平兵衛を演じた鈴木亮平さんも「やはり平兵衛も忍びであり、悲しい男だなと思いながら演じました」と語っていたそうです。

 

ただこれは、物語の中の下山平兵衛。

実在の下山平兵衛は、どんな人物でいったいなぜ伊賀を裏切ることになったのでしょうね。

詳しいことがわからないのが、残念です。